もっと人間のかたちをしてくるように


by s_koma

同窓会

着ていく服がないから行けない、
というのがシャレにならないほど、
女子校の同窓会というのは華やかだ。
いや、華やか、なんてカワイイものではない。
若い娘が80人も列をなして闊歩していると、
新宿の群集がギョッとして、
思わず道を空けてしまうくらいの迫力があるのだ。


ほとんどが大学4年生だが、
人によっては浪人や留学で学年がばらつく。
それでも、卒業してから3年半後の同窓会なんて、
社会人ばかりで学生は肩身がせまい、
という高校も少なくないのだから、
あまりに均質すぎる集団なのかもしれない。
そもそも女しかいないし。


会場のイタリアンのお店は同級生たちでパンクしていた。
懐かしい友人をつかまえようと、
入り口に人がたまっているからだ。
邪魔にならないように早々に奥にひっこんでまわりを見る。
友達はだいたい根暗な奴だから
特に親しかった人は来ていないようで、
適当に知りあいをみつけて話す。
派閥というほどのものではないが、
在学中に仲のよかった人同士でかたまるので、
同窓会であろうと話せる範囲の人は決まってくる。


背中のあいた黒のキャミソールドレスと、
ヒョウ柄のストールを着こなしているセレブな雰囲気の子に、
名前を思い出せないまま見とれていると、
幹事がマイクであいさつを始める。
あまりに騒々しくてほとんど聞こえなかったのだが、
「中学1年生にもどったような気分で」、
楽しんでほしいというような内容だった。


言われるまでもなく、みんな中学1年生に戻っているらしい。
シックにキメていかにも大人の女性という雰囲気の子から、
なんだよおまえ来るって聞いてねーよ、
連絡よこせよばかやろー、
などなど、外見にふつりあいな、
上品でない言葉が飛びだすのが面白い。
彼女も普段は見た目にそぐった話し方をしているのだろう。
ただ今日は特別なのだ。
小中学生の女の子の言葉というのは、
男の子よりもずっと乱暴で粗雑なものだが、
(語尾に「だわ」「なのよ」なんてつけるのは小説の中だけだ)
あの年代特有の言葉づかいが同窓会の空気のなかで、
思わずよみがえってしまったのに違いない。


進路のことや中高時代の思い出、
今日きていない人の近況など、つもる話に花が咲く。


エントリーシートの「特技」の欄に書くことないから
トランプピラミッドって書いたらウケがよかった、
っていうか写メあるんだけどこれすごくね?
うわ、やばい感動したこれww
うんでもごめん暗い人にしか見えないww
どんくらい時間かかってんの?
30分くらい?10段だよ10段。UNO二組使ってんの。


みんなきれいになったねえ。
私、大学でずっとテニスしてたから真っ黒になっちった。
いいじゃーん筋肉さわらせてー。うわ、かたたたた。
やめろおおお上はいいんだけど下はぷにぷになんだよお。


今日なんでちーちゃん来てないのさ、
大学おなじでしょ?どうしてる?
相変わらずだね。太宰の「斜陽」読んでシンクロしすぎて号泣したりとか。
誰にシンクロすんのww 私も革命起こしちゃうんだから!みたいな?ww
ちーちゃん懐かし。高校の時にさあ、
遅刻して教室くるなり「はあ生肉食べたい」って言ったんだよあの子ww
なにそれ意味がわからないww ほれるわww


内定先いっしょみたいね、今後もよしなにー。
よしなにー。懇親会いってないんだけどどんな雰囲気?
まあリア充ばっか。だってさー、最後に写真撮影したんだけど、
男がノリノリでフュージョンみたいなポーズとってんの。
フュージョンだよフュージョン。しかも手のかたちがまちがってる。
それはないwwまーしかたないね業界的に。
うちの会社もにたようなもんだわ、非リア同盟くもうぜww


そういやあの子も今日きてないね。
ああなんか結婚するらしいよ。結婚して長野いくんだってさ。
うそおおおおおおおおおお何それそんなの認めないww
あの麻雀とネトゲが人生の半分しめてるような子がッ!!


2時間はまたたく間にすぎて、
店を出るころ外の空気はだいぶ涼しくなっていた。
気づかなかったが通り雨があったらしい。


次の同窓会はもうこんなに大勢集まれないだろうね、と話しながら、
今日最初に声をかけた子と二人で駅に向かう。
中学1年の時だけ同じクラスだったがそれっきりで、
部活も委員会も大学も特に縁のあった子ではないが、
なぜだが毎年、年賀状のやりとりだけはしている。
彼女は地方の大学に通っていて、
来週からテストなので明日にはもう戻るのだという。


じゃあまた年賀状書くねと言って、手をふって別れた。
本当は、また会おうね、という言葉がのどまで来ていたのだけど、
何となくウソっぽさを感じてとっさに出た一言だった。

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# by s_koma | 2008-08-10 22:35
私が小学校低学年のころ、
「トイレの花子さん」というアニメがはやった。
走る二ノ宮金次郎とか、笑う骨格標本とならんで
学校の怪談の定番な花子さんだが、
このアニメの中ではヒーローだった。


おばけが悪さをしてこまった時は、
女子トイレの奥から三番目をノックし、
「花子さんたすけてください」と言えばよい。


目つきは悪いが正義の味方な花子さんが、
マスコットキャラクターの「ほわほわ」をつれ、
(まっくろくろすけを漂白して、
バスケットボールサイズまで大きくしたようなビジュアル)
悪いおばけを退治してくれる。


このときの退治のしかたが一風かわっていて、
花子さんがスカートについているチューリップのアップリケを
敵にぶつけるのだが、
これが幼い私にはツボだった。


はじめは「アップリケ」というのが何なのかわからず、
それでも言葉のひびきがかわいらしいので気にいっていた。
それが服などに別の布をぬいつけたかざりだと知ったころ、
ちょうど家庭科の授業ではじめての裁縫をやった。


フェルトや布を好きなかたちに切って、
服やカバン、ざぶとんにぬいつけてみましょう、と言われては、
もうぜったいに花子さんスカートをつくるしかない。


この手のことは得意な子とへたな子の差が大きいので、
うまい子はまつり縫い(ふちをとめるので丈夫)、
ふつうの子はなみ縫い(一番かんたんなアレ)、
どうしようもない子はシール状の布をアイロンでくっつける
(救済措置。もはや裁縫ではない)。


となりのせっちゃんはすいすい針を動かし、
きれいなまつり縫いで先生にほめられていた。
しかも縫い目がめだたないように
布と同じ色の糸をつかうという高度なことをしていて、
せっちゃんはすごいなあと思った。


一方、ぶきような私は練習の時点でかなり遅れをとってしまい
(玉むすびがつくれない><)、
ついには先生にアイロンを使えと言われてしまった。
それでも、アニメの「花子さん」のアップリケには
ふちにそってきれいななみ縫いの目がついていたし、
縫い目があるのがハイカラだと思っていたので、
休み時間も居座ってちくちくチューリップをぬった。
糸をケチったので長さが足りなくなり、
玉止めはせっちゃんに手伝ってもらった。


縫うときのおさえがいいかげんで、
布がズレてたるんだ感じになっていたし、
はじめは4ミリ間隔だった縫い目は後半1センチ幅だった。
それでも花子さんスカートに私は満足した。
家にもち帰って母にほめてもらい、
明日はぜったいにこのスカートをはいていくと宣言して寝た。


次の日は大雨だった。
スカートはぬれちゃうからやめときなさい、
と母はもっともな忠告をする。
しかしできたばかりのスカートを、たかだか雨ごときで
はかずにいられる小学2年生がいるわけないのだ。
スカートをはき、
上も花子さんに似た白いブラウスを選んで、
意気揚々と私は学校へむかった。


あとのことはもう書く間でもない。
子供のころはカサの使い方が下手だし、
ながぐつで水たまりの中を平気で歩くから、
ぬれるのは当然だ。


しかしそれだけではなかった。
私の住んでいた地域は道路の舗装がざつで、
あちこちに水たまりができ、
走る車が豪快にどろをはねる。
この車がはねる水を、カサを盾にしてガードする、
という遊びがこのころ流行った。


とろい私は上から下まで水をあび、
全身ずぶぬれになってしまった。


スカートの生地をつまんでぞうきんのようにしぼり、
なんとか脱水しようとするのだが、
ぞうきんのように丈夫な布ではないので
一度ねじるとなかなかもとにもどらない。


短いみつあみをたくさんこさえて
はりせんぼんのような髪型になっているキャラクターが
漫画によくいるが、あれにそっくりだった。


もともと縫いが甘かったアップリケはさらによれよれ、
糸がほつれてチューリップの右側のはっぱが
どこかにいってしまった。


半泣きで家に帰ると、
だからスカートで行くんじゃないって言ったでしょ、
と母はあきれながらもアップリケを縫いなおしてくれる。
私はあくまで原作に忠実になみ縫いにしてほしかったが、
遊びざかりの子供の服は丈夫な方がいいという当然の親心で、
きっちりまつり縫いで縫われてしまった。


これが私には気にいらず、
どうしてなみ縫いにしてくれないの、
こんなの花子さんのスカートじゃないと言って泣き、
怒られてまた泣いた。


あれからもう十数年たった。
今でも私は雨の日、むだに華やかな服をきて
人に笑われることがある。
べつにデートがあるわけじゃない。
ただ雨の日は心が落ちこむから、
せめて気分が晴れやかになる服を着たいと思う。


いっちょうらを雨にさらし、
結局後悔してよけいに落ちこむことの方が多いのだが、
そんな時あの花子さんスカートを思いだす。
こりない性格だと自分にあきれてしまう。

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# by s_koma | 2008-06-13 02:37

ただの日記

早くも更新が滞っているので普通の日記を書いてみる。


1限:ない
ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ


2限:社会心理学ゼミ
三年と四年でパワポのクオリティが違いすぎるのはご愛嬌。


2回目なので3年生向けに(?)社会心理学の代表的な実験レビューとか。
同じ実験でも他の文化圏でやると全然ちがう結果になるかもよーみたいな話。
まあ当然押さえておくべきポイントなのだが、
うちの学科の人の興味は「日本の消費社会に生きる人々」に
限定されている場合がほとんどだったり。


mixi派か2ちゃん派か、スタバ派かドトール派か、
CanCam系かViVi系か、
そういう違いはどこからくるのかなーみたいなことを
考えてるミーハーな人間の集まりですからね。


「どこでもだれでも通じる心理を探求するぜ!」みたいな人は稀なので
比較文化の視点はさしあたりキーにはならないのです。
対象を限定してても統制しなきゃいけないことが山ほどあるのに、
国家間文化間で翻訳やら参加者のスペックやら色々めんどくさい条件を
クリアしてまでやらなくてもいいじゃねーか、
というかムリだろと思ってしまうのは仕方なし。


まあY先生のように「日本人に対する偏見と戦うのだ!」という
モチベーションのある人には有意義な研究なのでしょう。


3限:宗教学
2週休みで今日が初回。
「神話」というテーマは人気なようで、宗教学のくせに混んでいた。
個人的に遠野物語が読みたくてとったのだが、
ギルガメシュがどうとかニーベルングのなんちゃらとかそういう話がメインらしく
お門違いな雰囲気ムンムンだった。


自分が生きている世界と時代も場所もかけ離れてるから、
とっかかりがなさすぎるのよね。


ただギリシャ神話には思い出があります。
小学校2年生くらいまで絵本しか読めなかった(読もうとしなかった)私に
先生が薦めてくれた初めての本らしい本がギリシャ神話でした。
触ったものぜんぶ金にしてくれーって神様に頼んで、
食べ物とか、自分の奥さんまで金にしてしまって
後悔する王様の話が怖かった。


まあ、神話=カッコイイみたいなイメージは実際あります。
日本のゲーム漫画でどんだけハチャメチャな引用がされているかを
調べたら面白いのではなかろうか。なかろうか。


4限:ヒマ
図書館で一番いごこちがいい場所はどこなのか考えてみる。
人に会いたくないときは4Fだが、
正直ここに毎日いたら鬱になること間違いなし。
院生ってすげー


5限:アメリカの短篇小説を読む
子供が箱に吸い込まれてどんどん消えてく ふしぎ!


この手の「教訓のない話」って日本にはあんまりないよなーと感じる。
少し前にエドワード・ゴーリーが流行ったのも、
その教訓のなさが目新しかったからなんじゃないかね。


ただ、ゴーリーの本でよく言われる「毒」「ささやかな悪意」とも違って、
無垢な子供がキャッキャッと虫殺しちゃうみたいなそんなかんじ。
誰かが指摘していたけどマザーグースが一番近い。

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# by s_koma | 2008-04-22 01:26

劇とアニメと

面接通らなすぎワロタwww


先日書いたとおり、ゼミの先輩が所属している劇団の
『銀河鉄道の夜』を観てきました。


映画化なりドラマ化なり、
ある作品がほかの表現方法でリメイクされた時に面白いのは、
自分が作品に持っていた先入観がわかることです。
「こんなの○○じゃない!」とかね。
原作が無視されてるんじゃなくて、
自分が勝手につくっていたイメージが壊されただけな場合が多いw


で、『銀河鉄道の夜』ですが、ジョバンニのキャラに驚き。
あまり感情を表に出さない、
大人びた子供をイメージしていたのですが、
「どこにでもいる典型的な昭和の子供」
という設定になっていました。


家で母親とおしゃべりするシーンがあるんですが、
まさに「かわいい小学生」という感じなんです。
声の起伏が大きい嬉々としたしゃべり方で、
ああこの子お母さん大好きなんだな、ってのが伝わってくるような。
「友達が悪口を言うの?」と聞く母さんに対して、
「でもカムパネルラはいわないよ!」って言うところとか、
心配させまいとしてるんだけど強がってるのがわかっちゃう、
ポーカーフェイスのレベルの低さが小学生っぽい笑


もうひとつ、ジョバンニがバイトの帰りに
1人機関車ごっこをするシーンが、
かなり丁寧に再現されていて印象的でした。
1人で「ガタンゴトン!ポォー!」とか言ってる。子供だw
ちょっと空想癖がつよくてどんくさい鼻たれ小僧。


もっと淡々としたキャラを想像していたけど、
こういうジョバンニもいいですね。
原作に忠実で、カットされた場面はあっても
セリフの改変や追加は一切ないのに、
ここまでキャラクターが変ってくる、
色々にとれる、というのは面白いです。


監督がロシアの方だったし、ジョバンニのキャラにしろ、
「日本/昭和」のイメージが強くでている気がしました。
先の母親とのおしゃべりのシーン、
母親は布団に横になった姿がふすまに映っているのですが、
こういう和風設定がすごい違和感。
原作にベットか布団かという記述はないのですが、
人名が全て横文字でパンが主食な世界だから、
ここはベッドな気がするけど…。
まあこれも先入観ですね。
宮沢賢治は海外に行ったことはないようだし、
世界観のルーツが海外の文学作品から得たイメージだと考えると、
意外と和洋折衷で支離滅裂な世界かもしれません。

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ついでなので85年に公開された劇場アニメ版も観てみました。これは素晴らしい。アニメが持つ表現の幅の広さを実感できる仕上がりになっています。ニコニコでも観れるおっ( ^ω^)


こちらのジョバンニ君は私のイメージにかなり近くて、あまり感情を表に出さない大人びたキャラクターになっています。
面白いのは、上の画像からわかるとおり、
キャラクターが全てネコになっていること。
表情の変化が乏しくても不自然でないようにするため?
原作に記述がなくても、映像化、特にアニメ化となると、
常にキャラクターに「表情」をつけなければいけないわけで、
その「表情」が作品の解釈を狭めてしまうことのないように、
こういう奇抜な設定にしたのだと思います。
強引なようで、この設定がうまく生きてます。


最後にジョバンニが空を見上げて、
「僕達はどこまでも一緒だよ」とカムパネルラに語りかける、
という原作にはないシーンが入っていたのですが、
これは賛否われそうな気がします。
「君がそうだったように僕も、自分を犠牲にしてでも
人々の『ほんとうのさいわい』のために尽くすよ!」というのが、
ジョバンニの結論だったのだろうか。
むしろそういう意志がカムパネルラの死で挫かれたんだと思ってた。
まあ「俺もカムパネルラに続くぜ!」みたいな
特攻隊的テンションではないし、
なお解釈の幅を保てているあたりはうまいなと思うのだけど。


あと気になったのは、原作にある心中語を再現せずに、
ほとんどキャラクタの動作で補おうとしているところ。
例えばジョバンニが、カムパネルラと女の子に嫉妬するシーン。
原作だと「カムパネルラなんかあんまりひどい、
僕と一緒に汽車に乗っていながらまるで
あんな女の子とばかり話しているんだもの」という
ジョバンニの心の内のセリフがしっかり書かれてるんですが、
アニメだと二人が互いに目配せしているのを、
あれ、なんか居心地わるいな、僕もしかしてじゃま?
みたいな感じでジョバンニが不思議そうにみている、という風に、
セリフなしで表現されています。


これはアニメにしかできない表現方法だし、
いい余韻を醸しているのだけど、
やっぱり原作の味とはベツモノだなと思います。
言葉にする、というのは自覚するということで、
嫉妬や軽蔑、後悔の気持ちをいちいち言葉にして
「こんな人間ではだめだ」と自分をいじめているようなところに
宮沢賢治の独特な思想が現れていると思うのですが、
そのあたりは原作でないと味わえないですね。

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# by s_koma | 2008-04-14 00:03

鬼門な本

電車で隣に座った中2くらいの坊主が、
生意気にも東浩紀を読んでいた。
最近は中学生もポストモダンが気になるようです。
若いうちに背伸びした読書をするのはよいことだ


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明日『銀河鉄道の夜』の劇を観に行くので、その予習。小学生時代から幾度となく読もうと挑戦したけれども、そのたびに挫折した記憶あり。カムパネルラ、っていう名前の響きは気に入っていたけど。


言葉の使い方が独特な上に一文が長いので、情景がパッと頭に浮かばない。
すごく集中して、ゆっくりゆっくり読まないと入り込めないかんじ。
「気がついたら同じ行を何度も何度も読んでいる」ループにはまる
たとえばこんな↓


向こう岸も、青白くぼうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀色がけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のように思われました。



これ読んで、パッと風景が眼に浮かぶ人っているんでしょうか。
結構頭を使わなきゃピンと来ない描写で、
こういうのが延々続いていると疲れます。
もういいトシだから想像力が枯渇しちゃったのかしら、とも思いましたが、
子供の頃もやっぱり3ページくらいで投げていたのでした。


結局今回も、地の文を読むのが苦痛で台詞だけ拾い読み。
今まで銀河鉄道に乗る場面にすら到達できていなかったことを考えると、
最後まで読み通せたのでまあまあ上出来です。


↓以下読んでない人のためのまとめ↓

ジョバンニはいじめられっ子。
生まれつきのぼんやりした性格と、
病気の母の看病で友達と遊ぶ時間がないためです。
お祭りの日も、出稼ぎから帰ってこない父親のことでからかわれ、
ひとりめそめそ町外れの野原で物思いにふけります。


気がつくとジョバンニは、小さな列車の席に座っているのでした。
隣にはジョバンニの唯一の親友、カムパネルラが乗っています。


カムパネルラは言います。
「おっかさんは、ぼくを許してくださるだろうか」
「ぼくはおっかさんが、本当に幸になるなら、どんなことでもする。
けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なのだろう」
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、
いちばん幸なんだよねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う」
ジョバンニは、彼が何を言っているのか、よくわかりませんでした。


銀河鉄道には、色々な人が乗ってきます。
ジョバンニは、周りの目ばかり気にしている鳥捕りを軽蔑しました。
女の子の大人びたしゃべり方に腹が立ち、
それでいてその女の子と楽しそうに話している
カムパネルラも妬ましいのでした。
なによりも、そう思ってしまう自分は嫌なやつだと思いました。
悲しくなることがたくさんでした。
そしてそのどれもが、ほんとうにささいな、
つまらないことなのでした。


「どうして僕はこんなにかなしいのだろう。
僕はもっとこころもちをきれいに大きく持たなければいけない。
ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行く人はいないだろうか。
カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうに話しているし
僕はほんとうにつらいなあ」


女の子と一緒に乗ってきた青年は、2人にこんな話をします。
自分達の乗っていた船が氷山にぶつかったのだ、と。
子供たちだけでもボートに乗せて助けようと思ったが、
そのためには前を行く人を押しのけて進まなければいけない。
このまま神の意志にまかせるのが子供たちにとっても幸福なのではないか。
いや、神にそむく罪を背負ってでも、ぜひ子供たちを助けてあげたい。
「なにがしあわせかわからないです。」


乗客は1人、また1人と降りてゆき、
もとどおりジョバンニとカムパネルラ2人だけになりました。
「カムパネルラ、また僕たち2人きりになったねえ、
どこまでもどこまでも一緒に行こう(…)
けれども、ほんとうのさいわいは一体なんだろう」
「僕わからない」
「僕たちしっかりやろうねえ」


「僕もうあんな大きな闇の中だってこわくない。
きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしにいく。
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」
しかしジョバンニがふりかえると、
もうカムパネルラの姿はそこにはないのでした。


気づくとジョバンニは、もとの草原に帰っていました。
町へ戻り、カムパネルラが川に落ちた級友を助けて死んだと聞かされる、
そんなところで話は終わります。


こんな怖い話だったとは。
「よだかの星」「猫の事務所」あたりもそうだったけど、
賢治の作品の骨格は「みじめのかたまりみたいな奴が
自分の中にある熱、ぞっとするほど純粋な願いを
どう扱えばいいかわからなくて苦しむ」というところにありそう。


ただ、よだかと猫が孤軍奮闘だったのに対して、
「どこまでもどこまでも僕と一緒に行く人」を求めているあたりが、
この作品を特に引き立てる由縁なんだろうなあ。
この話、世に出たのが今の時代だったらコミケで同人誌が出てそう。


劇を観てまた考えてみます。

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# by s_koma | 2008-04-12 02:24